後書き
西の国のお抱え研究者 L氏の手記
後書き
読み返せば決して論文になりえない、一つの思い出としての文字の連なりだった。回顧録のような、いや、魔法使いにとっては数十年の時など回顧とは呼ばないのだろう。
東の国の崖で彼の仮説を聞いてから、3か月後に私は王都の研究所に招聘された。天文台を発つ前の日、ムル・ハートは改めて私に聞いた。
「君は死ぬまで学者で居続けたいかい?」
「もちろんです。そこにあるものを当たり前と思いたくないですから。死ぬまで知って知って知り尽くしたいと思っています」
「すばらしいね。愛だね」
その日は新月だった。天文台は光源が少なく、うすらぼんやりとしていた。魔法で室内を明るくすることもその日彼はしなかった。
「大きい力に流されない様にしなさい。同じ熱量で議論を戦わせるのとは違う、君の論をひねりつぶすような力に、対抗できる力を持ちなさい」
「対抗ですか?」
「愛には打ち破らねばならない障壁もあるということさ。それを破って、私の論にもいつか反論できる学者になってくれ」
それ以来、彼とは会っていない。天文台に足を運んだこともあるがいつももぬけの殻だった。おそらく彼は西の国の情勢まで見抜いていたのだろう。足跡すら辿ることができなかった。
私の研究室は、私の死後は続かないそうだ。世界の真実を探求するよりも、我が国は他国に対抗できる軍事力と軍事技術を蓄える方に舵を切ったらしい。私の研究も誰にも読まれずに潰える日が来るのかもしれない。私は打ち破らねばならない障壁に勝てなかったのだ。
だがそれでも誰かにこの文字の連なりを読んでほしい。そしていつか、別の誰かがまたこの世界を知りたいと思ってくれたらこんなに幸せなことはない。
ムル・ハート、あなたも何百年か後にこれを読んでくれることを願っている。